28歳の挫折からフェス成功へ!小籔千豊が語る挑戦の理由

小籔千豊さんが28歳の時に感じた「笑いの才能がない」という挫折から、どのようにして今の成功へと繋がったのか。この記事では、小籔さんがKOYABU SONICを始めたきっかけや、フェスの進化、さらに吉本新喜劇で見せたリーダーシップについて紹介しています。

すっちーさんの寝坊騒動でのエピソードなど、彼の仲間を守る姿勢も見逃せません。小籔さんの人生を振り返りながら、その成長と挑戦の理由に迫ります。

28歳で悟った「笑いの才能はない」と感じた瞬間とは?

小籔千豊さんが28歳の時、ある大きな気づきを得たんです。それは「俺には笑いの才能がない」という衝撃的なものでした。お笑いの世界で生きていくために必要なスキルやセンスが自分にはないと感じ、いったん立ち止まる決意をしたんですね。この時点で、小籔さんは普通の仕事も探していたそうで、生活費を稼ぐことが最優先になっていたんです。でも、その時期があったからこそ、後の飛躍に繋がったんですね。

当時の小籔さんは「ビリジアン」という漫才コンビで活動していましたが、相方のやまだともカズさんが放送作家を目指すことになり、コンビは解散。その瞬間、小籔さんは自分が笑いの才能に欠けていると感じたそうです。「このまま続けてもダメだな」と思い、普通の仕事に就こうと考えていたところ、周りの仲間から「辞めるな」と励まされたんですよね。

それがきっかけで、吉本新喜劇への道が開かれました。普通の仕事を探す一方で、お笑いへの未練も捨てきれなかったというのが正直なところだったのでしょう。結果的に、仲間たちの後押しがあったからこそ、吉本新喜劇で新しい舞台に立つことができたわけです。今では、あの時の迷いが彼のキャリアの転機となったのだと考えると、人生って面白いですね(笑)。

この時期、小籔さんにとって「普通の仕事」を探すことが一瞬現実味を帯びていたけれど、同時に「笑い」を捨てきれなかったという二面性が非常に興味深いです。芸人という不安定な職業の中で、堅実さを追い求めながらも笑いの道を進むことを選んだ。そんな迷いと決断の狭間にいた小籔さんの姿が見えてきます。

「KOYABU SONIC」の誕生秘話と音楽フェスの進化

28歳で自分に笑いの才能がないと感じた小籔さんが、お笑いの世界で新たな一歩を踏み出し、次に生まれたのが「KOYABU SONIC」。この音楽フェスは、もともと音楽イベントに出られる場を作りたいという、レイザーラモンとのユニット「ビッグポルノ」の思いつきからスタートしたものだったんです。そこから、ただの音楽イベントではなく、年々進化し続けるフェスに成長していったんですね。

最初は本当に手探りの状態から始まった「KOYABU SONIC」。音楽フェスの枠を超えた試みとして、様々な要素が少しずつ取り入れられるようになりました。今年のフェスでは、なんと「フォートナイト」のコーナーまで登場!小籔さん自身が「フォートナイト大好きおじさん」として知られ、ゲームのファンにも楽しんでもらえるイベントになったというわけです。ここでも小籔さんの自由な発想が発揮されていますね。

でも、このフェスの進化は思いつきからだけではありません。KOYABU SONICがここまで続いているのは、「自分の利益だけを考えない」という小籔さんの信念が大きく影響しているんです。音楽フェスを通じて「誰かが喜んでくれるやろうな」と思いながら試行錯誤を繰り返し、それが形になっていったんですね。お金を稼ぐためではなく、喜んでもらうためのフェス作り。これは簡単なようでいて、なかなかできないことです。

実はこのフェス、バンド「ジェニーハイ」にも大きな影響を与えています。ジェニーハイは、小籔さんが出演していた番組「BAZOOKA!!!」でレギュラーだったtricotの中嶋イッキュウさんや、くっきー!さんとバンドをやろうと始まったプロジェクト。数か月放置されていたものの、本気でやるなら強化メンバーをと考え、川谷絵音さんや新垣隆さんまで加わることに。このバンドもまた、KOYABU SONICのおかげで表現の場を広げることができたんです。

「KOYABU SONIC」がただの音楽フェスにとどまらず、どんどん進化しているのは、こんな風に小籔さんの思いと周りの人々の協力があったからこそなんですね。思いつきで始めたフェスがここまで成長し、音楽だけでなく、ゲームや他のエンタメ要素も取り入れたイベントに進化しているのは、小籔さんのチャレンジ精神そのものです。

すっちーの寝坊騒動で会社批判、小籔が見せた矜持とは?

KOYABU SONICの進化に尽力する一方で、小籔さんは吉本新喜劇の座長としても長く務め、多くの仲間たちを支えてきました。その中で印象的なのが、すっちーさんの寝坊騒動です。この出来事は、小籔さんがリーダーとして持つ強い責任感と、仲間を守るための姿勢が色濃く表れた瞬間でもあります。

すっちーさんが吉本新喜劇の公演に遅刻してしまったことを覚えている人も多いかもしれませんが、実はその背後には、非常に過酷なスケジュールが隠されていたんです。すっちーさんは前日、東京で深夜まで仕事をしており、そのまま始発の新幹線で大阪に戻ってすぐに舞台へ立たなければならないという、ほぼ不可能ともいえるスケジュールを組まれていました。これにはさすがに体が追いつかず、結果として遅刻に繋がったわけです。

ここで、小籔さんはただすっちーさんを責めるのではなく、問題の根本に目を向けました。テレビの生放送で「こんな無理なスケジュールを組ませて、誰も彼に付いていなかった会社が悪い」と、吉本のスケジュール管理を批判したんです。これには、多くの人が驚いたでしょう。しかし、小籔さんにとっては、自分の仲間を守るための当然の行動だったんですね。後にマスコミに「小籔がすっちーに激怒」と報じられるという事態にもなりましたが、実際は真逆で、会社に対しての苦言だったのです。

このエピソードは、小籔さんがリーダーとしての矜持をしっかり持ち、仲間を守り抜く姿勢を強く表しています。お笑いの世界では、しばしば厳しいスケジュールやプレッシャーがかかることがありますが、そこでどう仲間を支え合い、チームとして成長していくのかが重要なんですね。小籔さんは、その中で「皆を食わせている。喜んでもらえていることが大切」と感じたそうです。まさに、家族や仲間を守り抜く強さが彼のリーダーシップに現れています。

小籔さん自身も、家族を守るための責任感が強い方です。子どもがお腹を空かせている状態にしてしまうのは、男として情けないと感じると言います。それと同じように、仲間たちのためにも声を上げるべき時にははっきりと言う。すっちーさんの遅刻騒動は、小籔さんがただのリーダーではなく、心から仲間を大切に思っているからこそ行動した、心温まるエピソードだと言えるでしょう。

この一件は、KOYABU SONICでの挑戦や成長と同じく、小籔さんの矜持と人間味あふれる一面を垣間見せる重要なエピソードです。

まとめ

  • 小籔千豊さんは28歳で「笑いの才能がない」と感じ、一度は普通の仕事を探そうとするも、仲間の後押しで吉本新喜劇に進むことになった。
  • KOYABU SONICは「ビッグポルノ」として音楽イベントに出たいという思いつきから始まり、今ではゲームやバンドなどを取り入れた進化を遂げている。
  • すっちーさんの寝坊騒動では、小籔さんがリーダーとして吉本のスケジュール管理を批判し、仲間を守る姿勢を見せた。

小籔さんの人生には多くの挑戦と挫折があり、その度に仲間や家族への思いが彼の選択に大きな影響を与えてきましたね。28歳での挫折があったからこそ、今の成功があるというのが印象的です。そして、KOYABU SONICの進化やすっちーさんを守るエピソードを通じて、単なる芸人ではなく、リーダーとしての強さと優しさを感じられる内容でした。

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